これらの年中行事は、宮中の年中行事の様式を記した「御定式御用品雛形」と非常によく似ています。
例えば、正月の紅白のお鏡餅、お買初め、七種、上巳、端午、中元、八朔、玄猪などの規式が図示されているが、御鏡餅などからみて、武家の規式は宮中や幕府にそったものと思われます。
江戸幕府が権威をもって定めた行事に八朔がありますが、この日は、慶長八年(1603)徳川家康が江戸に入った日として幕府の重要な行事とされていました。臼杵城でも、家老をはじめ庄屋やその息子、領内の職人など三百人余りを登城させて祝ったということです。
大名たちの江戸城への登城の身支度は白装束と定められ、この風習は当時の遊里吉原のおいらんにまで及んでいたようです。しかし江戸後期になり幕府の権力の衰退とともに真っ先に消えていった行事でもありました。
日本の歴史とともに先人たちの伝えた年中行事の中には、現在既に消えかけているものも多くあり、先年亡くなられた司馬遼太郎氏は、文化というものは根雪のようなもので、保存の気分のないところには残らないといっておられます。
永い年月をかけて培われた日本の文化を、可能な限り次の世代へ伝えたいものですね。
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