家督相続はお家の一大事である。
跡目が決まると江戸と臼杵の両方で披露されました。とくにはじめてのお国入りは盛大に行われ、臼杵城では家老から足軽まで、また家老や御用人の場合は十五歳以上の嫡子も出席する、盛大なものでした。さらに町人や庄屋、町年寄などに対して、三日もかけてお披露目をするほど家督を継ぐということは重要な事だったようです。文政四年(1821)、十二代尊通(たかみち)の場合の人数は千六百五十人、出席したということですから、臼杵の小藩とはいえたいした規模です。
お祝いの料理は一汁四菜香物共吸物、御酒、御肴二種、御菓子がだされましたが、身分の低い者への肴はむしり肴とあります。当時の身分制度はこのようなところにまで現れていたのですね。
領民たちは、農民および商人一万一千八百二十四人が祝い金を献上したとあります。いったいいくら集まったのでしょうね。
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