参考文献
臼杵の殿様暮らしと食
(大分合同新聞社)

 

第19回 年中行事と食べ物「殿の誕生祝い」
献立
【誕生祝い】

イラスト 初誕生日を盛大に行うことは今も昔もかわりないようです。

 稲葉家の場合も、雍通公の次男虎太郎(後の十二代尊通)の初誕生日は干鯛、赤飯、食籠(じきろう、料理やお菓子を入れたもの)が贈られて、その後の誕生日には、赤飯と肴でお祝いしています。

 十一代雍通公の誕生日には、よく「在所のすし」が作られている。在所とはお国のことを意味するので臼杵風のすしとといった意味だと思われる。
  このすしがどのようなものかはっきりしないが、甘い煮豆入りのばら寿司や、現在臼杵で作られているすし飯を椎茸で挟んだ茶台ずしは、いずれも比較的新しいと思われるものです。
  雍通公の正室の場合は、赤飯が四十二人に配られていて、人によって好みのもので祝っていたようだ。
 臼杵のお寿司、とってもおいしそうですね。 雍通公の食べたおすしがはっきりとしないのが残念です。

【家督相続】
イラスト

 家督相続はお家の一大事である。

 跡目が決まると江戸と臼杵の両方で披露されました。とくにはじめてのお国入りは盛大に行われ、臼杵城では家老から足軽まで、また家老や御用人の場合は十五歳以上の嫡子も出席する、盛大なものでした。さらに町人や庄屋、町年寄などに対して、三日もかけてお披露目をするほど家督を継ぐということは重要な事だったようです。文政四年(1821)、十二代尊通(たかみち)の場合の人数は千六百五十人、出席したということですから、臼杵の小藩とはいえたいした規模です。

 お祝いの料理は一汁四菜香物共吸物、御酒、御肴二種、御菓子がだされましたが、身分の低い者への肴はむしり肴とあります。当時の身分制度はこのようなところにまで現れていたのですね。
 領民たちは、農民および商人一万一千八百二十四人が祝い金を献上したとあります。いったいいくら集まったのでしょうね。