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野上弥生子エピソード【16】


弥生子の人柄

伯母、野上弥生子は、知識欲の強い人であり、凄い読書家で、学ぶ姿勢で努力、又努力する人でした。精神集中のできる人でもありました。

弥生子をここ迄成長させたものは次の五つだと思っています。

1番目は、15才で上京し、是非勉強の出来る学校に入学したいと希望して明治女学校に入学、キリスト教的文化主義の校風の中で懸命に6年間学んだ事。

2番目に、野上豊一郎と結婚した事(20才)。豊一郎は、毎週夏目漱石の家で行われる集まり(木曜会)に出席し、夜自宅に帰ってから、その日の出来事を詳しく妻、弥生子に話して聞かせました。

弥生子はその事を毎回日記に書き、書く事によって理解を深めていきました。

3番目に、53才の時(昭和13年―1938年)日英交換教授として文部省から選ばれて、渡欧する夫、野上豊一郎に同行して1年余りの間、ヨーロッパの文化に接する事が出来た事です。またスペインの内乱を見て、近代戦の破壊力の凄さも知りました。その上、アメリカを見た事です。パリに居る時、ドイツが第二次大戦を始めたので、パリからボルドーに逃れ、そこから船に乗ってニューヨークに着きました。二週間余りかけてアメリカを横断し、サンフランシスコから日本に帰ったのですが、アメリカを見てその若々しい国力と工業力に驚異を抱きました。

4番目は、良い友人、知人を持っていた事。特に夫、豊一郎の一高、東大の同級生に安倍能成、岩波茂雄の親友があった事。

5番目に、99才まで元気で長生きし、文筆活動に集中した事。


豊一郎(明治42年9月)


弥生子(明治45年6月)

フンドーキン醤油株式会社会長
小手川力一郎


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