第21回

昭和25年 十一月九日 木 晴

 でにチッキ二つはとどいていたので、その整理や、戸棚や本棚、机上の秩序づけで働く。庭は黄菊白菊が野趣のある姿を見せ、真庭の白い山茶花が美しい。一昨年の九月に移ってきたときには秋らしい菊の花一つなかったのを父さんと嘆いたものであり、昨年は学校の帰りにクルマ一杯菊の花を買ってきて、それをあとで庭に移したのがこれらの菊であったという思い出が多い。

 のぶさんには煎餅の一缶のお土産に南瓜一つ、金千円与えて、帰した。午後筑摩の古田氏来訪。アルプスの印税毎月二万円づつ持参のことになり一回分おいていく。田辺さんの家のことも話す。

 
昭和25年 十二月三十一日 日 晴

 年のおうはんとおさしみにて年越し。父さん(夫)へもお供えする。Sも割に早く帰って一緒に食卓に着く。正子も今日また入浴させる。とにかく一家病人なく生活的にも余裕を持ってこの年を送ることが出来るのはありがたい。

 金は一切合切で百万はある。もとの一万円そこそこならんしかし渡辺町の時の私の希望は一万円貯えがあれば十分だと言っていたのに、なかなかそれが可能ではなかった。ひとり残されてもとの家にも住まわれず、今後の暮らしのことも案じられる未亡人が多い中に----戦争未亡人の場合は悲劇そのものである----こうして生きていける喜びを思うに付けても、仕事を怠ってはならない。

 食後モキのところへSと行き、ラジオをきく。三木鶏郎なる人の日曜娯楽版なるものを初めて聞いた。落語家や漫才には持たない機智と感性の生新は買って良い。
 年の回顧に並べられた事件をつぎつぎに考えてみても、今年は多事この上なく、また来るべきものへさまざまな芽を蔵している点で一種の時限爆弾ともいうべき年であった。これが不発に終わらないで済むことがひたすらに念じられる。

end


 

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