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弘化三年(1846年)十二月
牧野兵庫守様が江戸屋敷の表にお入りになられたときの会席料理である。
それ迄の飯と汁に重きをおく本膳料理を酒宴むきに簡略にしたものが会席料理である。この風潮は天保のはじめの頃(1830〜)から流行したといわれている。稲葉家でも、流行を取り入れておもてなししたようだ。
この当時は、十三代幾通を亡くして、幼い養子十四代観通を補佐していた七十歳の雍通(あきみち)公がもてなしたものと思われる。
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【1】
- お吸い物(切り身、つくし)
- 御口取物(かまぼこ、金糸ゆば、玉子焼、よせとうふ、きんかんさとう漬)
【2】
- 御鍋焼(雁、ぎんなん、いか、せり、生のり、よし町揚、きざみ柚)
- 向(いり酒、このわた、わさび)
- 御汁(花かつお、苔子)
- 香物
【3】
- 御焼物(甘鯛、鮎塩焼、煮山桝)
- 椀盛(干塩鯛薄身、塩もぎ大根、えのきたけ)
- 御菓子(雪餅)
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