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野上弥生子エピソード【12】


知識欲に強い弥生子

 弥生子は知識欲が旺盛でしかも、努力又努力の人です。三人の子供を生み育て、同時に大学生になった弟、武馬を引き取り、親族の子供も預かり、寸暇をさいて読書にふけり、多忙な中に時間をさいて精神を集中して作家活動に没頭しました。弥生子が90才を越しても精神集中が出来るのは、若い時から養われたものだと思います。25才の時、長男素一を、28才の時、次男茂吉郎を、33才の時、三男燿三を生み育てながら、28才の時「ギリシャローマ神話」を翻訳したのですから、大した努力です。
 太平洋戦争が敗戦で終わった時、弥生子は北軽井沢大学村の山荘で、自分にかけているのは経済と哲学の知識であると考えました。そこで山荘に来ていた大内兵衛先生を毎日訪ね、経済学をおそわり、田辺元先生(写真右)に通って哲学を勉強致しました。
 私はこの話を伯母にきいた時、経済学に無知な伯母に対して、天下に名高い大内兵衛先生はどんな教え方をされたのであろうかと考えると、おかしくなります。
 弥生子は、今これが必要だと思えば、それに向って突き進んで実行する女性ですから、相手になる人は大変です。大内先生は、トッピな質問をされてさぞかし困った事と思います。

 大内先生から戴いた手紙は、50通を越しました。田辺先生からのは100通を越しました。

 夫の野上豊一郎は66才の時、法政大学の総長室で倒れました。大内兵衛先生が次の法政大学の総長をひき受けてくれました。


田辺元

昭和20年から疎開先永住。弥生子は26年9月かた35年まで毎週2回、田辺山荘で哲学の講義を受けた。

フンドーキン醤油株式会社会長
小手川力一郎


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