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野上弥生子エピソード【25】


九十九歳の祈り

 野上弥生子は昭和60年3月30日亡くなりました。
 その百日後に次男茂吉郎が東京警察病院で亡くなりました。
 数ヶ月前、弥生子は北軽滞在中に茂吉郎の入院を知り、大変心配して見舞に行こうとしましたが、
家族が上手に見舞に行けないように気配りしました。私はこの手記を書く時に知った事ですが、茂吉郎の妻正子と娘和子の二人が毎日病院に通いつめていましたので、夜になると弥生子から病状をきく電話がかかって来たそうです。
 以下は和子の話です。
「帰ってくるとおばあさまから毎日電話がかかりました。ある時、弥生子おばあさまからカイボシを臼杵から贈ってきた、カイボシの焼き方を教えてあげるから二人一緒においでと電話がありました。カイボシの焼き方は何度も教わって知っていますが、おばあさまの言う事だからハイ、ハイと返事して出かけました。
 おばあさまはいつものように電熱器を出してきて、これで焼くのがコゲずに上手に焼けますよと言ってカイボシを三個並べて、いつもと同じように、焼いて古新聞で背びれの方から押えて、皮をはぎ、骨をとり、きれいにむしってくれました。しばらくして、おばあさまは突然姿勢を正して、私達に向い、頭を深々と下げて、『どうぞ、茂吉郎の事をお願いします』と祈るように言われました。
 私達は(夫の裕吉は医者)驚いてしまって、すぐ言葉も出ませんでした。弥生子おばあさまから頭を下げられたのは、初めてだしそれも深々と下げて頼まれたのですから、私達は弥生子おばあさまが父茂吉郎をどんなに心配しているかわかって胸をしめつけられる思いで声が出ませんでした」という話を聞きました。

フンドーキン醤油株式会社
会長小手川力一郎

▲三男の野上燿三さんと妻の三枝子さん