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野上弥生子エピソード【4】


画帳
漱石の書と同じく野上弥生子文学記念館に画帳がおいてあります。
一冊の大きな画帳を父金次郎は、野上豊一郎夫婦に預け、訪れた文化人達に一筆かいてもらって下さいと頼みました。いろんな人が楽しんで書いております。
芥川竜之介は、恥ずかしそうにカッパの絵を、鈴木三重吉は、四人会飲と画面一杯に書き、和辻哲郎は、茶つみ人形を緻密に書き、万葉仮名で讃をしています。
宮本百合子は、いとゞしく 虫の音しけき あさちふや 中川一政も、早春の麦畑をソフト帽をかぶってオーバーの衿を立てた男が通りすぎている絵をかいています。
昭和35年頃、中川一政が画家として名前が売れ始めた時代でした。中川一政は、東京の錦城中学時代、野上豊一郎から英語を教わっています。中学卒業後も野上家に出入りし、豊一郎、弥生子夫婦の媒酌で結婚しています。
そんな関係もあって、昭和35年頃中川一政がふらりと友人一人を連れて、小手川家へやって来ました。
私の父、金次郎がフンドーキンの別荘でご馳走をしました。その時、父が画帳を持ってこさせて、一政に画帳を見せた。一政は、芥川竜之介の書いたカッパの絵からだんだん画帳をめくって行くうちに、自分の絵が出て来ました。一政は、はっと気がついてばたんと画帳をとじてしまい、画帳を置いてしまいました。まさか、30年前に書いた遊び心の自分の絵が突然目の前に現れたのでびっくりしたのでしょう。
父は、この話をするたびに、中川一政の慌てぶりを話して大笑いしたものです。
中川一政はその後、昭和50年に画家として文化勲章を受章しました。
フンドーキン醤油株式会社会長
小手川力一郎

弥生子・豊一郎写真
芥川竜之介が描いた絵

 

 移築された離れ(軽井沢)
宮本百合子の句

 


画帳中の和辻哲郎の作品


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