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野上弥生子エピソード【6】


ケネディ大統領と弥生子
 西暦1963年、アメリカ大統領ケネディが暗殺されました。その時、私の女房絢子は伯母のお供をして宮崎に行っておりました。
 ケネディが暗殺されたニュースを知った時、伯母は私の妻に向い「油断ですよ、ケネディは油断しとったのですよ」と一言強く言ったそうである。臼杵に帰ってからも、私に「ケネディは油断ですよ」と言いました。私はアメリカの大統領が油断で暗殺されるのだろうかと不思議に思いました。
 伯母は用心深い人でした。
東京で、伯母と一緒に何度か外出しましたが、外出する前に必ずお手洗いに行きます。伯母から「東京ではお手洗に行くところがないのよ。外出する前に、必ずお手洗にいきなさい」と注意をうけたものです。伯母は戦争ぎらいです戦争は人類を不幸にする。戦争はしてはならないと確信していました。
 昭和12年の朝日新聞の1月1日に新春のことばとして、「今年は戦争が起らぬ事を神に祈る」と書いて、評判になりました。その年7月に支那事変が始まりました。
 併し、伯母は自分の力の限界をよく知っており、戦争反対運動等は決してしませんでした。ペンを折り、黙して語らずです。極めて用心深い人でした。
フンドーキン醤油株式会社会長
小手川力一郎

弥生子・豊一郎写真
北軽井沢の離れの縁側で(昭和52頃)

 

 移築された離れ(軽井沢)
東京成城から移築された
野上弥生子の住家


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