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野上弥生子エピソード【27】


三人の子供は皆学者

 長男 野上 素一 
 1910年生まれ(明治43年)東大言語学科卒業後、日本とイタリアの交換学生に日本から一人選ばれてローマ大学に入学(昭和11年)講師となる。イタリアの敗戦でドイツに逃げる。後20年5月ドイツ敗戦で収容所に入れられる。
 後、大島ドイツ大使などと共にアメリカの軍艦で日本に帰る。21年1月6日大島大使は戦犯としてその場で逮捕。1946年より京大で教鞭をとり、1950年の日本ダンテ学会を設立し、会長となる。イタリアとヨーロッパ関係の学会で80歳まで活躍を続けた。
 82歳でイタリアで6ヶ月、学会まわりをする。
(静子婦人同伴)
 ダンテ神曲の訳本がある。
 岩波文庫にデカメロンの訳本がある。
新伊和辞典を初めて編集した。

 次男 野上 茂吉郎
 
1913年生まれ(大正2年)東大物理学科を卒業後、九大助教授、教授、学習院大学教授をへて、東大物理学教授。
 東大安田講堂事件の折の教養学部長兼務。東大を60歳定年後は、法政大学の工学部教授となり、70歳定年後講師、72歳、講師で死亡。
 病床にある時、母弥生子よりは先に死ねないと言って涙していた。
 母弥生子より百日後の昭和60年7月8日に亡くなった。

 三男 野上 耀三
 
1918年生まれ(大正7年)東大工学部機械工学科卒業後、海軍へ東大目黒の海軍技術研究所に勤務(技術大尉)。
 敗戦後、東大の理学部物理学科に再入学。東大の理学部教授となる。
 定年退職後は、明星大学の物理の教授となる。
 平成9年3月定年退職。

フンドーキン醤油株式会社
会長小手川力一郎

▲野上 素一

▲野上 茂吉郎



▲野上 耀三