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野上弥生子エピソード【15】


みごとな情勢判断

伯母は驚くほど大局的な情勢判断が正確な女性でした。伯母は一般社会にはほとんど出て行こうとはせず、近所つきあいも少ない方でした。伯母にとって、主なニュース源はテレビとラジオと新聞と学者グループと出版界のグループでした。それなのに、なぜ大局判断を間違わなかったのか不思議ですが、強いて理由を求めれば、偉大なる常識人であったということでしょうか。人間は正しく生活しなければならない。熱心に仕事をしなければならない。自分の生活費は自分で稼がなければならない。主婦は家庭を大切にし、妻は主人を大切に、母は子供を大切に、母は子供を正しく、厳しくしつけなければならない。ふとんをあげ、部屋の掃除は自分でしなければならない。三度の食事は主婦が用意しなければならない。これらはすべて当たり前のことですが、百歳近くになっても、伯母はこの当たり前のことを常に主張し、実行していました。この常識が、伯母の大局判断を正しくさせていた気がします。昭和三十二年、三男燿三の嫁三枝子を連れて伯母は毛沢東の中国を一ヵ月間旅行しました。その頃は毛沢東の統一した中国はなぞの国であり、一般の人は入国もむつかしかった時代でした。その時中国に招かれた人々は「中国は偉大な国家である」と口をそろえてほめたたえたものでしたが、伯母は「中国はまだ赤ん坊ですよ」と一口で説明していました。伯母は平松知事と話をしていた時「あなたは、大変うまくやっておるようですが、うまくいっておる時は必ず足をひっぱられますよ。用心しなさいね」と言っていました。この発言も伯母からみれば、常識なのでしょう。伯母は上田元大分市長と親しく、上田氏と御親戚の平松知事に特別の親しみを持っていたようです。

田中角栄の天下を予言
伯母はテレビのニュースをよく見ていました。話をしている時、ニュースの時間になると「ちょっと待って」と言ってテレビをつけました。五分ほどニュースを見て、パチンと消してしまいます。この態度は亡くなるまで全く変わりませんでした。ある時、国会のニュースか何かの折に、田中角栄がどなっている映像がチラリと出ました。田中角栄が自民党の幹事長か、もう少し前の時代でした。伯母がテレビを指さして、「この男が自民党をぎゅうじるようになるでしょう」と予言しました。私は不思議なことを言うなあとその時思いましたが、後年、田中角栄がバリバリ実力を発揮し始めた時、私はあの時の伯母の言葉を思い浮かべました。あれほど早い時点で、何を根拠に田中角栄の人物、力量を見抜いて問題にしていたのでしょうか。伯母の勘から来たものか、または伯母に接触するだれかが田中角栄恐るべしと伯母に話したものでしょうか。


中国延安に旅行した時の写真

フンドーキン醤油株式会社会長
小手川力一郎


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