参考文献
臼杵の殿様暮らしと食
(大分合同新聞社)

 

第17回 年中行事と食べ物「煤払い・年越し」
献立
【煤(すす)払い】
イラスト 12月になると町には煤払いをするための笹竹売りの声が聞こえるようになる。昔の家々の燃料は薪であって、煮炊きにはくど、暖をとるためには囲炉裏が用いられたため煙が立ちすすがよくついていた。
 そこで、一年のすすをのぞいて新しい年を迎えたのである。
 12月の初旬から部屋毎に大掃除をし、そして13日には年男が煤竹をもって部屋へ入る煤の御祝儀が行われた。御祝儀の食べ物は白粥や雑煮、酒、吸い物、田作り、数の子などである。今の新年の祝い肴が出されている

 また、大掃除が終わると「投げみかん」として女中たちのみかんまきが行われた。娯楽の少ない当時の楽しみの一つらしく、明治元年にはみかん五百個が用意され、そのうち三百個がみかんまきに使われている。

 現在行われている年越し蕎麦の風習もみられ、「一同に蕎麦切り」とある。

献立
【年越し】
イラスト

 年越しは、大晦日だけでなく一月六日、一月十四日などにも行われている。一月六日の年越しは、元日より六日までを松のうちといい、六日の夕方門松やしめ縄を取り払うので、歳を超えたという気持ちで「六日年越し」といい、一月十四日は「十四日年越し」として、正月のことがおおかた終わり新年を超えたとして祝う。小正月、2番正月ともいって現在も行っている地方も多い。

 また、除夜は新年最初の夜とされていたが、現在では十二月最初の夜と考えるようになった。
 年男は各所にしめ縄をし、鏡餅を飾り、元旦用のお屠蘇や大福、祝い箸などの準備をする。

 そして、年越し祝儀が行われる。おせちには五段重ねの御重を用意している。一の重はさざえ、二の重数の子、三の重煮豆、四の重たたきごぼう、五の重田づくりで、現在に比べると彩りが淋しいけれども、数の子は子孫繁栄を願って、黒まめは豆にちなんで元気に健康にと、田作りは干鰯 が田んぼの肥料として用いられたことから豊作を願うものとして祝い肴に欠かせないものである。