第一回


三月十三日 土 曇午後快晴七十度の温度。むしあつい

 前階下の部屋より病床を二階に移す。父さんはますます快く、床にはあまり横はらないほどになり、顔をあたつたり、シクラメンを写真したりする。押入れの着物類を乾かす。それらの不行届な手入れを見て、父さんが可哀さうになり、涙ながる。
 朝食前にたき子さんに返事を書く。東京に家をもつ事をだんだん本気に考へるやうになつた。初夏のやうなむし暑さの為か三千子夜中に泣きわめきて不眠。

 
三月二十日 日 朝小雨午後晴
 日は好天気ならば父さん始めて入浴の予定で用意してあつたが小寒い雨が夜からふつていたので中止。午後おそく三宅春恵さん来訪。彼女はまた特別かも知れないが、仕事をもつている、またそれに自信をもつている。

  夜横山三郎氏来る。京都の美学を出たので、私達と共通の知人や話が多い。東京パン(風月堂)の主人である。パンの事をまた頼みたかつたが、そんな話にまでは行かずにそのままとなつた。十時頃まで。父さんもそれまで起きて仲間入りしたので、無理がいきはしなかつたかと少し気になつたが、その影響なくてすんだ。健康を取り戻されし証である。午食後父さんと近くを散歩。住宅地としては実際この辺は好ましい。適当な家がこのあたりに見つかれば、といふ気もあつた。

  ところが帰つて、角の森さんの家が売りに出ていることを知る。この家は外のかたちもこの近くでは一番ととのつている。
 間数は七つぐらいとのこと。来春モキ一家の上京のこと。Sが当分あの状態をつづける事を考慮すれば、どうしても一軒の家が必要となって来る。路一つしか隔てぬよいことと共にわるい事もあらうが、兄弟力と心とを合わせて今後も生きていく上には、都合のよい事の方が多いだらう。ただ百万のいひ値といふので、おいそれとは極められないが………、しかし私たちは今までも生活的には場合で思ひきつた態度をとつて来た。今度もこの流れで惜しきつた方があとで、よくこそと思ふのではないかと思ふ。

日記
目次へ第1回第2回第3回第4回第5回
第6回トップページ