第五回


五月一日 土 晴
 三
十日の家の交渉については気持ちが疲れて委しく書いておく精気を欠いていたが、父さんと私との考え方には少し違うものがあった。父さんが結句は買い入れを肯定しつつも、半田氏の報告ぶりにも左右され、先方が95を引かないのにそのまま手を打つのはシャクに障る気持ちが強く、もっとネバルことを考えたらしい。 しかし私としてはこの問題は三つの点から冷静に且つ放タンに処理すべきだと信じた。

1. 家が必要なこと。
2. 建てることはどう考えても不利不便であること。
3. 森さんの家は私たちの、生活的な条件に八分通り適していること。Y・Mに近いこと。成城という住宅地で、場所としても最上であること。---他でもっと安い価格が見つかるかも知れないが、それが私たちの生活的な条件に、この家ほど叶うとは信じられない。地所もつかないのに百万近く出すことは他のものにはバカらしい事に違いないが、それを利用しうるものには、どんな高いものでも高くはないわけである。
 またそれだけの収入の可能なしでは無謀な企てというべきでままなると、私たちにはとにかくそれが約束されており、現在のキャッシュでもかき集めれば四十万以上からある。かれこれには私はこの際思い切って買うべきだとの決心に到達していた。ちょっとおもしろくない言葉のやりとりをした後、とにかく父さんもままって来いとのことになって出かけた。森さんも昨夜夫妻でいろいろ考慮されたらしく、終に90に折れ買い入れが確定された。

 世田谷区成城町20、土地五百八拾七坪(借地)地代一ヶ月五十円建坪四十二坪五合、外に建増三坪五合。内容、和室八、六、六、三、洋室十二、五、五、四五四、三、五、合計九室。
 れでとにかく東京に自分たちの家が出来るわけになる。山の生活は私には何物にも換えがたいものではあるが、事物の推移は仕方がない。山より外に老年を養うに気持ちよい家が見つかったのはなによりの幸運と考えよう。

 多田さん校用にて午後おそく来る。伊都子は今日より毎土三枝子に教わりに来る。私は父さんの着物シャツ類をセイリ。洗うものをすっかり洗って気もちよし。
 
五月十三日 木 晴

 
京より手紙やっととどく。内金二十万渡して家の仮契約成立とのこと、これで漸くこのもんだい片づいた。今後は東京の生活をいかに整備するかである。執筆は順調に進展。草もちをもって田辺夫人を訪ねる。

 
五月三十日 日 晴
 父
さんと三枝子、金次郎と朗子より手紙。森氏は六月十日頃に引きあげとのこと。父さんの留守番の事を心配している宮田の件は最終的なことにして、その頃ならYたちでも留守番として夜は行かれる筈だとおもう。その旨手紙に書いて、明日帰る山川便に託すことを磯野さんにたのむ。

  そのまえ一寸彼女を訪ね、留守番が六月上旬からになることをいい、八杉かんけい女がたのめるか否かをこちらへはデンポオ、成城へは誠一氏にレンラクして貰うことにした。---家のことがやっと目鼻がついたらまたこんな用事が生ずる。よの中はおもしろい。そう興がって行動する気もちと健康をうしなわないことが、なにより必要である。

  家の登記価50000ですんだ由、半田氏から報告もあったので、お礼の手紙を書く。

 作の結果は先よりずっとよくなった。今日すむ筈なりしもこんな手紙でこころ乱れたので、最後は明朝にのばす事にした。決して無理には書き飛ばしてはならない。望月さんが風呂をたてに来て入浴。

 


日記
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