第四回


四月二十六日 月 微陽夜雨
守に今泉夫人来訪。
 今日はお父さんが学校の会議に出るためクルマが来るので便乗して丸の内の中公に嶋中氏を訪問、息子さんのお悔やみをいひ、選集のことにもちょつとふれ、十分あまりで用事はすんだ。 そのあと長谷川さんに逢ひ、北軽にきてくれる約束を確実にした。
  帰りに新宿にをりて、小どんぶり十客ー一つ十円ー醤油入れの小皿ー一つ十二円ー三千子のご飯茶碗一つー12円ーその他にブタ五十目、牛肉100目ウナギ小串二つー一つ45円ーなどの買ひ物をした。明日法政の内輪の若い連中をご飯食べに呼ぶためである。


 
さんの帰りは私の後になつたが、そのクルマにて半田氏がきても森さんと二度目の会見をした、 95万まで折れてきた由、90万ならすぐにも話は付くがもう10万ぐらい負けさせる気で三十日の午後もう一度逢ふことになった由。
  北軽への帰りは来月にはいることになるらしい。
  明日の支度の一部として、夜食後筍とニンジンを煮付けたりして働いた。こんな外出の後でも、それだけの元気が私にはまだ十分にあることは健康な証であらう。一つにはアタマ仕事の疲れを知らないでこの頃ずっと暮らしているからである。
  かうして見ると、頭脳的な仕事はなんと辛いものかとつくづくおもはれる。帰りにおしゆんさんに逢つて、一緒に戻つた。
  パラシュートのきれはおそろしく高くなり、もつては来たが断つて、電車代だけあげた。
 
四月三十日 金 晴

 

日鯛の骨をノドにたてたのがどうも気持ち悪く、つばを飲んでもさはれば、ものをたべてもさはる。。三枝子の耳鼻科の河野さんにつれて行つて貰ふ。三千子をクルマにのせながら。外出していて且つ患者が狭い玄関に待つているので引つ返して、午食後改めて行った。

 
ドをのぞいて診察して貰つたが骨は見えないとこのこと。このいやな異物感と触りはあとのキヅらしい。塗薬を三四度してくれ、うがひ薬を貰つた。
  八十円久しぶりにお医者さんにお金を払ひ、中々高ひと思つたが、あとで半田さんに聞くとふつうはもつと高く初診料として三十円とられるとのこと。私のはそれが省かれたのは、名前を知つていて特別サーヴィスであったかもしれない。
 二度目に行くあひだに父さんの広袖ぶとんのカヴァーつけをして、まつ白にきれいになつた。一昨朝私が自分で洗つて乾かしあげておいたのである。こんな肉体的な仕事が苦痛なくできるのはありがたい。

 
者に行つた序に小包としてギリシア・ローマをSに四冊、宇野さんに一冊送る。原田さんには『お能の物語』を返送。一部を新たにして小山書店から出すことは、小学館で困るとのことで中止。麻生さんのゆづらない為である。私が明(日)訪問してみることになつた。

  少し疲れがでたらしい。そろそろ油がきれかけたのかもしれない。

 

 


日記
目次へ第1回第2回第3回第4回第5回
第6回トップページ