第三回


四月二日 金 晴夜雨

 半田さんが来てくれる。森さんまで同行。彼は森氏と談合の結果をもつて引つ返してきた。それによつて六百弱の敷地は借地であることが分かる。それにしては百万のいひ値は高すぎる感じが強いが、よくよく思へば、今畑にたちかけているあのマッチ箱のやうな家でも、坪2万かかるとすれば、建物ママで実質的にそれだけの値打ちはあるわけである。

 
たちとしては土地がついているいないは大して気にならず、ただこの際生活に必要なだけの間数のある家を見つけ、生活を気持ちよく整理されればそれでよく、その必要がなくなれば売つてもよいわけと思ふ。
  しかし半田氏らの手がたい考へ方には、それはピンと来ないらしい。三枝子の帝銀株の払ひ込についても相談をして見た。

 
さんははじめて洋服を来(ママ)て、S、とYとつれだち、新東宝のスタヂオでの「真知子」の試写に見に行つた。さう疲れもしなかた。

 
四月十九日 月 晴

  記を怠つた。それをつける間さへなかつたわけ。以下心覚え也。

 
六日午前であつたか半田氏来る。しかし森主人旅行中の為月曜日(十九日)にまた来ることになる。十七日は父さんはクルマが来て木月の予科の入学式に行つた。 太田氏のパージは都合よくのがれられた。私はカマクラ行をする。

 
時すぎ岩波さんにつく。雄二郎君は今日は帰らないことの知らせありしも岩波夫人とはおうよそ醇(淳)子 さんに逢へばとおもひし也。醇さんは大柄なおうような娘さん也。岩波夫人とはおうよそハンタイ。岩波夫人の姑さんぶりのまへに身をちぢめて生活しているやうな有様を見ると、彼女がきのどくと思ふより岩波夫人の不聡明がかんじられる。三枝子などこんな家族的訓練の厳しさは夢にも知らないわけ也。

 
飯まへに浄明寺の宮本さんを訪ねる。博ちゃんの縁談がきまつて、お仲人役をたのまれる。

 
八日朝スバル座のガリヴァに子供をつれて行くといふ小百合さんたちと帰京。同窓会に行く博ちゃんと飯田橋まで同行。Sは今朝早く番をとるために東京駅に行き、今夜京都へたつた。バビとの離婚は十三日に手続き完了。とにかくこれでこのトラブルにも一と先づ型がついた。私は帰るまへに一度バビとミションを訪ねてあげるつもり。バビもミションをつれて逢ひに来るといつていた由。今度の解決に於てバビがひどく立派な態度を見せた。私たちもそれにたいしてファイン・プレーで行きたい。ガリヴァもすでにすべての原稿を渡した。金次郎二十日に上京のデンあり、こころ待ちにしていたら昨日上京中止の打電があつた。また昨日井本さん来訪とのこと。ハワイの砂糖を頂いた由、帰つて来る途中で今泉さんに出会ふ。

 
日また来客デイとなつた。午前渡辺哲夫氏、娘ムコとともに来る。それにつづいて石田英一郎氏。今度法政で教へることになつた。「河童駒引考」を頂く。そのあと半田氏、森氏との話あひの結果を報告に来る。半田氏は七十五万円をとなへ、それにつき二三日のうちに返事ある筈。結句八十万を出るのではないかともおもふ。そのあと小山書店の高村氏。セミ丸をうたつた。そのあひだに河野六郎君。

 


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