第八回

八月二十七日 金 雨

 京に引きあげにつきトラックの手配その他の打ち受けのため大雨の中を長靴外套で駅へ行く。こう決心するとすぐ実行に移すことが出来るのは小手川家の伝統であり、また私の体力と意力の衰えない証拠である。

 東は長野原行きにて不在。しかし河口によりトラックも手配し、箱も作り、荷造り万端がYたち滞在中までにできることになる。そうすれば父さんがSとミションと先ず出立したあと、私と松井で積み出しの荷物を支度し、トラックが来た時、耀三たちがその積みこみをカントクすることにすれば最善の方法である。

 広田夫人とよし子さんに出逢い、アメリカに出してくれた小包料の残金をもらう。建具屋により雨戸その他の戸締まりに来てもらうことを、留守の娘にたのんでおく。

 
八月二十九日 日 晴夜一時雨

 日も建具や来たり、勝手口の戸とそのよこの高窓の格子出来上がり。午前河口長兄来る。午後は安東君---二人に任せれば最善の方法で送り出せるならん。トラック代は一万五千位 ならんとの安東君の見込み、望月貨車にして、かれこれにて結句一万使い、その上一週間ほどごたごたして気骨を折ったとの事故、いっそ安いものであろう。トラックに残ったものは草電で出すことになる。安東に500渡す。午後おそく藤田さん。彼もミスタ・コリンスとはたちは違うがちょっと別 な意味で踏みはずしがありそうなり。

 キ・マサより手紙、臼杵に五日間行き、その間に金治郎が帰った由、丁度お盆で珍しい光景を見たらしい。写真屋来てミションカを庭でうつし、それより市河山荘に廻った。二百五十円、三枚ヤキ増九十円。

 さん能面 と鼓などを箱につめてくれる。

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