第九回

八月三十一日 火 晴

 日は父さんとSとミションカ出立のため朝からおむすびを拵えおにしめをして弁当の用意。今夜は油屋に一泊、明朝七時の軽井沢発に乗る予定也。ミションカは東京に帰ることに急に興奮を感じ、朝からハリキッテいる。午食はY・M・M参集して大にぎやかですます。

  時出て途中にちょっと平塚さんにアイサツする。 私は例により玉木山荘まで見送る。YがMの乳母グルマで荷物を運んで行った。トラックや木箱は数日のうちに手配される筈なので、それまでに私と松井が残ってそれぞれの積荷を支度しておいて帰京、Y・Mがこちら へ移ってトラックが出るまでカントクする。私たちは帰京の翌日当たり新居へ移り、そこでトラックがつくのを迎えるという手筈で、申分ないプログラムができあがっている。二百十日の天候異変もなさそうで、これでケイカク通 りに行けば私の引き揚げはまことに好都合にすむわけである。
  だ騎士物語がもう二三十枚というところになって、それをすまして帰れないのが手順違いなれどいた仕方なし。

 送りをすましてから高見、松室、岸田、寺村米川大川諸山荘を歴訪。なんとなく帰京の決定したことだけをほのめかして。---私としては暇乞いのつもりなれど、そういうとまたことが大げさになるから立つまでそれは言わないことにする。

  川山荘だけにちょっと上がる。八杉さんがあとから来た いっしょにお茶を頂いたが、彼は晩食に招かれていたらしい。その帰りに市河山荘によりY・M・Mと会食。そのつもりで松井がうちからたべたものを持参して持っていった。これがここでの最後の会食となるであろう。

 
弥生子略歴三人の息子は皆哲学者
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