今朝はじめて十日ぶりに日記のペンをとる。昨日Sの出立後やっと第一期の片づけを済まし、大行李に入れてきたペンや日記がでたわけである。帰京の準備と引き揚げまでのことをカンタンに記しておこう。
四日後学陽書房主人が友人の画家と来訪。前日野上あて電報が来たから、彼はすでに帰京の旨変電したところ、すでに軽井沢に来ていたので、間に合わなかったのである。
五日には野上彰氏と改造社の西田氏が午前来る。
私たちはその午後軽井沢まで下りた。おヒルは耀三のところですまして立ったので甚だ好都合であった。前日つね子さんが来たので、彼女の手伝いで三枝子も元気よく支度が出来た。彼女から進駐関係の話をいろいろ聞く。油屋からデンワかけ野島さんを訪ねた。野島さんも二月丁度野上の病気の頃喀血し、夏もまた繰り返していね子さんも大変らしい。
『六日の午後二時頃成城着。昨日隣家から引っ越しを済まして、父さんもSも短そでシャツに短ズボンで新居の方に居た。家は伝えられた以上に美しくなっていた。細部に完成しない点もあるが気持ちよく住むに差し支えはない。昨日から境野さんの世話で植木屋が入って庭木の手入れがはじまっている。これがすめばいよいよ仕上がるというわけ也。森氏の居る時分は細かいところをのぞき廻るのが遠慮されて---これは買うものとしては間違った態度であるが---本当にすっかり見て回るのは、今度が始めてである。あらゆる点に細かい気配りが見えて、私たちが住むには全くふさわしく出来上がっている。新しく建てるにしても、到底私たちにはこれまでの神経は行き届かず、出来上がってみて、ずいぶんイヤだと思うところが出てきたに違いない。すべての意味において、この家が私たちの手に帰したのは運命的だといってよい。ただ未済の金や、手入れの金をすっかり支払うまでは当分肩が軽くはならない。それはしかし今後の健康と仕事にかかることで、それにつけてもこの家が荷物にならず、本当に楽しい住み家になるような努力を怠りたくないものである。ただ老を楽しみ、生活を楽しむためにある家ではなく、仕事の場所として役立たせることを第一義としたい。』
七日にはのやが訪ねて来た。新居祝いのお赤飯を二重持ってきてくれた。この家について初めて祝いのものを貰い、訪問を受けたのが彼女であったのは悦ばしい。五太勇の香典として500円あげる。彼女と入れ代わりに午後遅く、中川正義君が予科の生徒の井上さんと同伴にて来る。今日登校した父さんの帰りまで待っていた彼の診察で、父さんの血アツは順当とのこと。序に私のを計って貰ったが、120でこれもまた私としては程良い数であるらしい。午前には放送局の大倉礼子さん来訪。インタビューの件、もっと先にしていただく。今日トラックが着くはずのところ、定ちゃんより、故障できて明日になるとのデン来る。久しぶりの東京の九月の気候は私の生理状態に早くも影響を与えた。寝冷えらしく滅多にない下痢が続いておなかが痛み、今日は少しも気力がない。
八日午後二時トラックが無事についた。故障は高崎での出来事で、電報はそこから打ったとのこと。二日かかったわけで、そのためトラックが午後早くついたのは好都合であった。井原運転手と湯本と定ちゃんが来た。川口からは三人来るとのことで
1000チップを渡しておいたのであるが----井原と湯本は食後にすぐ立ち、定ちゃんは残る。
九日いっぱいでおろした荷物の整理から、木炭箱を物置に運ぶことからすべて定公の手を持つことが多く、彼を同伴させたのは物いりではあったが、便利の点ではこの上なかった。でなかったら、決してこう都合良く、手早くは片づかなかったであろう。
十日には父さんが理事会で出掛けるクルマで素一出立。彼も私と同じ症状で弱っていたが、今日は昨日よりはよいらしい。そのあと「朝日」の田村氏来訪。安倍、長野両氏を顧問とし、嘉治氏が部長をやっている「朝日」の招宴にゲストとして呼ばれた。先のことにして貰う。
夜、Y・M・M 帰京。』
定ちゃんを朝立たせる。千六百円渡す。他に彼にシャツ、のぶちゃんに白粉、土田のかみさんに浴衣一枚、昨日帰ったYたちの報告で、あとから貨物便にする筈の荷物に少し難がある風故、安東へ手紙をことづける。出荷命令書さえ取ればよいのである。
夕食後小山邸に出掛けたが、まだ食事前でごたついていたので引き返し後夫妻で出掛けてきた。彼の新居は行って見れば春散歩の時限にした建物の一つであった。比較的に見てちっとも賛成できない。大きいだけのガサツな落ち着きのない感じで、うちの家が
英国風のおもおもしいコテージなら、これはアメリカの田舎の植民村のバラックである。それにつけても、この家を見出した幸運が今更ながらに思われる。
夜Y・M・Mに時ちゃんも招いてスキ焼きで会食。父さんの誕生日の前祝いと彼らの無事な帰宅を迎える意味もある。これからは一週に一度ぐらいこんな会食をすることにしたい。
一昨、夜更けに巡行の巡査に呼び起こされる。 植木屋が路上に焚くした火が消えていなかったため也。若い巡査が私たちの充たしたバケツの水を受け取って何度も火に注いでくれた。もとなら大目玉
で何度も怒鳴りつけられるであったろうが----民主化の一例を手もとに見せられて快かった。今日も何人かの事務的な客を迎えたが、あの階下の小応接間が100%利用され、最初の期待が充たされたのも快い。トラックの出た日、途中雨であったとのことで、小さい竹行李のものが大部分ぬ
れてカビの出ているものさえあった。二階のテラスに乾して当面
の整理だけはすんだ。細かいことは追々でなければ出来そうにない。お昼頃、婦公の蘆原(あしはら)氏来訪。「題言」で文通
はありながらお逢いするのは初めてである。和辻氏の弟子とのこと。何科を出たのであろう。稍(やや)にごった暗い顔をしている。
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