第15回

九月二十日 月 晴

 日やっと荷物の整理をすます。夕方までかかった
 
 の間に見塩が来たのでSの洋服のズボン直しとワイシャツ2枚の直しをしたのみ、雨ゴートのシミぬきと羽二重の帯をふとん皮に染めることを頼む
 時事新報の記者がSとバビの離婚の問題について聞きに来る。話はせずほどよくいって帰した。編集長は石川という人の由、その辺へわたりをつければ記事にしないですむのではなかろうか?むしろ新聞は和やかな和解を主題として取り扱おうとしてるらしいが、しかしそんな事を話のタネにしないですめばしない方がよい。放送局の大倉さんも一寸。水曜日はクルマを新宿までした廻されないとのこと。とにかく約束した事で仕方がない。

 日内田夫人はこの家を賞めたて、百万では安いと言っている。小山邸の外観だけこけ脅しのガタガタ普請に比べればたしかにこの家は芸術品である。

 
十二月三日 金 晴
 の頃は朝下の六畳のコタツに電熱器を入れて早朝の勉強をつづけている。先日から渋っていたペンがほんの少しもどりかけた。
 後あまり暖かくおだやかな天気につられて父さん(夫)と散歩に出る。うちの前の坂を初めて下り、東宝のところからもとの砧村を通り、二十分ほど歩いて来た。しづかな田園のよい散歩道がすぐ近くにあるわけだが、私にはそれを利用する余裕さえない。
 


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