第16回

昭和24年 一月四日 火 晴

 ベさんが熱海から「迷路」をよんで賞めてきた。
 
 大の賞め方をしてくれている。彼らくらいの年配と教養と思想の持主たちには問題にされるのであろう。またされてよいと思う。

 後、呉茂一さんがいらして下さった。そのためにSが風月のおいしい洋菓子を買いに行ってくれ、成城のすし屋に白米を一升やっておいしいおすしも二重出来た。それに油葉のおツユも上味で万事好都合に行ったが、ただ矢崎さんにもハガキをさしあげたのに、届かなかったと見え、来られなかったのが残念であった。
 その代わり市河さんをおよびした。呉さんは元気で、いつもの通り品よくおちつきしづかに話した。Sがこうした先輩を持つのは有りがたい。またこの家があってこそ今日のような好もしいパーティーもできるわけで、この幸せを改めて喜びたい。

 
二月四日 金 美しき晴

 川さんのところから運送屋二人に書棚を届けさせて来た。送料は先方で支払ったとの事故、お礼として「ギリシャ・ローマ神話」を帰るときにことづける。ホールの壁の前に据えられると、書棚の重々しい美しさが一段と引きたった。残念なことはこの書棚にふさわしい立派な洋書を焼いてしまった事だ。それでも夏目先生の署名入りの初版の創作などをつめて見ると、相当見事である。
 の壁の、なんとなく気になった空虚感がこれで消え失せ、この気持ちよくおちついた部屋の重味を考えてみた。

 までは何万出しても手に入りにくいこんな品が、易々と、それも原稿紙十枚あまりの金で所有に帰したのは、この家の幸運な入手とともに、誠に恵まれたことと思はなければならない。
 もそうであったが、この書棚も不二子さんが手引きとなったわけ故、午後丁度昨日京都からとどいた抹茶の封切りをかね、彼女をお茶に招いた。市河さんもちょっとのぞきに来る。
 成田さんという予科の生徒がナマコ三本持参。同時に暮れに頼んだ餅代三千円のうち五百円戻して来た。彼の家がモチ屋で、モチ米代だけしかとらないのらしい。木幡の林屋さんにお茶の代金を送る。Sへ手紙かく。酒井さんの娘さんに「ハイヂ」送る。

 


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