第18回

昭和24年 八月三十一日 水 
昼小雨、夜大暴風雨、キチ台風

 SとMは昼前に連れ立って新宿へ買い物に出かけたが、帰ってきた頃から台風の前駆がそろそろやってきた。

Sは二日に入学試験があるため今夜の汽車に乗ることになっており、三時過ぎに出立。モキは夜行で立つ予定でその支度をしていたが暮れ方からいよいよ台風が猛烈になった

 キチ台風なるもので、東京に上陸とのラヂオのニュースであったが、少しそれて三浦半島から静岡の方へ行くらしいとのこと。しかしそれもやがて停電となって聞かれなくなる。

 キはなんとかして行きたい思いが強いらしいが、風速20メートルくらいと思われる風が前の丘陵になった畑地からぶつかってくるのを見れば、こんな危険な状態の中に出掛けるのは無謀として止める。

 もしかしたら汽車も普通であるかも知れない。かれこれの心遣いは私の神経をちょうど庭の樹が風にもみくちゃにされるように押しもむ。床についたが、これほどの頑丈な家さえゆれるのである私もこの風にたいしては、従来も元始人のような怖れを感じる。

 モキが夜行を断念して、角の二階の部屋の長椅子に寝たが、丁度台風の上陸頃と予定された九時過ぎ頃、千切れてぶつかる木の枝に壊された窓ガラスが部屋にとびこむ始末で、私たちの蚊帳に移ったのを機会に、階下の長椅子に寝ることにした。

 すがに二階ほどの揺れはないが蚊が刺すのと蒸し暑いので一眠りもできない。夜中を過ぎ、すこし風勢もおとろえた頃また二階へ逆戻りする。しかしモキが5時半の始発でたつというので、。 ねぼうしてはならぬと思う気持ちで眼があわない。四時半の時計の蛍光を見て、起こして出してやる。そのあとも勿論眠れず。

 台風の二三分のとぎれは、苦しい病気の発作と発作の中断に似ている。何か恐ろしく巨大な、真っ黒な肉体が、体当たりでぶつかって来る感じもする。病気のケイレン的な発作を、台風の襲来で形容することも出来るなと考えたりする。むしろ地球そのものが激しいケイレンで身もだえし、うめき、叫んでいるかの感じ。そうして人間は難破船の水夫が、風と波から振り落とされまいとして、帆柱にじっとしがみついているかの感じ。

 屋根の瓦がガラガラガラとみんな振り落とされ、屋根まで吹き飛びそうな感じである。この中で眠れる父さん(夫)のシンケイは、とにかく羨望に価する。

 
昭和24年 九月一日 木 晴れ、曇り

 の大きな庭の松の枝の梢が散乱している。二階の座敷の外側にも引っかかっている。ケイトウがことごとく倒れ伏している。この間から赤い花で飾られていた猿すべりが、わずかな紅を残したのみで、なにか脱毛したようにカサが小さくなっている。ライラックは傾いただけだったが、アンズの樹は倒れ、それがモノホシの柱を押し倒し、竹を傾斜させた。

 山さんが朝見舞いによってくれた由、後で奥さんにデンワして私も見舞いをのべた。瓦やガラスが破損した由、うちでも角の部屋のガラスが一枚壊れ、その部屋の屋根の瓦が二つ落ちたが幸いひどく壊れはしなかった。この部屋が最もあたりが強かったっことを証明している。


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