第19回

昭和25年 二月二十三日 木 晴

 早朝中川正義氏来訪、射血、ドンブリに三分の一強。そのあとひどく気持ちよさそうに眠り続ける。

燿三登校まえに来たり、しばらく病床に侍す。

茂吉郎は今日は休みの取れる日なので私と代わる代わるそばに侍したが、額に濡手拭いをのせる程度で、なにもすることはなかった。ということはそれほど安らかにただ眠りつづけたのである。

おカユ一椀茶漬けで食べる。もとお母様の好まれた米を先に狐色にいってから炊いたので香ばしく、気に入った。

お昼には山羊乳を紅茶椀に一杯飲む。二時頃学校より市原さん来る。日産との問題で佐々木弟吉氏に紹介状を貰うため也。彼を病床に通し、父さんは腹這いになり、雑誌の上に書簡氏紙をのせて理事の田熊、中野両君を紹介する旨の手紙を書いたが、それがいおそろしく暇どった。食気皆無と不眠のおとろえで文字でも忘れているのかと危ぶまれたが、とにかく出来上がる。しかしその文字の乱れは鶏の足跡のごとく判読に耐えぬものであったので、それを封入するために受け取ったときにはちょっと胸をつかれた。

「お疲れになった?」ときいたら

「うん疲れた」と答えた。

原さんが学校からとして持参した見舞いの果物の中にエロー・デリシャスがあったので、それをむいて口に入れてあげる。半分を三ツ割にしたのを殆ど食べた。朝から生じた食気と、快い眠りはそばを離れぬ私をすっかり安心させ、そばにぼんやりしているのがことごとしい位であるのと、一つはあまり眠り続けさせては、夜の眠りを妨げるのを怖れたのと、こうした気持ちに加えてその快い眠りがそのまま永久の眠りにつづくとは夢にも知らぬ呑気さから、私は小原御幸のサシをそばで口ずさんでいた。

 昨日も過ぎ、今日も空しく暮れなんとす、明日をも知らぬこの身なるが----


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